肥後朝顔について神水幼稚園
2013年08月30日 category : ブログ
肥後朝顔の諸説
古来、あさがおは東洋熱帯の原産で奈良朝の頃、薬種として中国から渡来し、寛文の頃(約三百年程前)観賞用 となりました。
その後、花色などが改良されその作り方も江戸時代までは、変化あさがおが珍重されていましたが、明治以降 は大輪あさがおに移行しています。
明治17年大阪を始めとして京都、東京、名古屋など各地に朝顔会が出来、研究が進められ流行、発展を遂げて きました。
(行灯作り、らせん作り、盆養切込作り、数咲作り、変化咲きなど)
このなかで独り肥後朝顔界は、終 始洲浜性花の特性を生かし、肥後人の気質嗜考に合せて中輪ながら独特の花姿の肥後朝顔を作り上げたのです。
この肥後朝顔が、いつどのようにして起こったかは
良く分りませんが、明治32年肥後朝顔涼花会として発足して
以来既に百年以上も経過しています。
(平成十一年に百周年を迎えました)
子ども達にも、その肥後六花の「肥後朝顔」を大事に育ててもらっています。
←「ひご あさがお」前の記事へ 次の記事へ「2014(平成26)年度 園児募集要項」→